治るモラハラ
モラハラを受けていることに気が付いた時には、相手の目を見据えて
「自分は怒っている」
「そんなことあなたに言われたくない」
というだけでもモラハラがやむことがある、ということを昨日書きました。
わたしは夫や職場で意地悪な人に対して黙っているのをやめました。
「そういう言い方は不親切だよね。それじゃわたしは何をどうしたらいいのかがわからない」
何か言われても黙っていたり、笑ってやり過ごしたりするのではなく「NO」を言うことも必要な時があると思ったからです。
今のところ、夫のモラハラが治ったかどうかはわかりません。
夫は食事の時に「いただきます」や「ごちそうさま」を一回も言ったことがありません。
「ありがとう」やましてや「ごめん」などなおさら言えない人です。
「ごめんね。傷つけて悪かった」
モラハラが治るかどうかは、これが言えるか言えないかだと思います。
モラハラをする三つのタイプのうち、治る可能性のあるモラハラは「疑陽性モラ」だけです。
その理由は「良心的かどうか」。
良心とはなにか
「良心」とはリミッターです。
トラックなど大型の車両にはリミッターが設定されていて、一定の速度以上は出ないようになっています。危険だからです。
人間には”リミッター”といえる”良心”が生まれながらに備わっています。
どこの国の人に聞いても泥棒や殺人は「悪いこと」だというでしょう。
それはどこで生まれても、どんな法体系の下にいても同じです。
良心はわたしたちが社会生活を円滑に営んでいくうえでどうしても必要なものです。
人を傷つけたり、失礼なことを言ったらいけないと、ある行動をとる前に、あるいはある行動をとった後に良心は警告を発します。
生まれながらにその「感覚」はありますが、さらに子供のころから親や周りの人によって教えられることによって「良心」は強化され、研ぎ澄まされていきます
幼稚園や学校に上がり、親から離れて集団の中で生活していく中でさらに個々のパターンにおいて、どのように振舞うべきなのかを覚えていきます。
そのはずなんですが。
どの過程でか、モラルハラッサーは良心をどこかに置き忘れてくるのかもしれません。
もしくは初めは小さなことで妻に意地悪なことを言った時、その時は良心が痛んだのかもしれませんが、親しい間柄になったという甘えから「ごめんね」の一言を言わずに済ましてしまい、その結果だんだん良心が働かなくなったのかもしれません。
良心は麻痺することがあるからです。
ASDなどの発達障害を抱えている人の場合、ほっておけば、まず自分がなぜ妻を傷つけ悲しませているのかの理由もわかりません。
共感性がないので想像もできないからです。
「悪いことをした」という思いがないので残念ながら「良心」は働きにくいのかもしれません。
最近では早いうちから療育を始め、感覚としてではなくデジタルな方法で「すべきこと」「すべきでないこと」を学んでいきます。
「相手がどう感じるか」は理解できなくても、「それは悪いことであり、謝るべきこと」と覚えるのです。
ただ、こういった療育はまだ体系的に行われるようになって日が浅く、ここ20年ぐらいにやっと始まったようなものです。
それも、1歳半検診の時に健診に来た子供たちから感じる違和感を短い時間でとらえ、専門の鑑別を行う医療機関に結び付けていく。
そういった医療機関はそれほど多くはなく、順番が回ってくるまでに何か月も待たなければならないこともある。
診断には時間がかかり、やっと診断が下って専門的な療育を受け始めるのが早くても3歳ごろから。
子供たちの脳が急激に発達する初めの3年間に、他の子供たちがすでに学んでいる人間関係にとって大事なスキルをやっと学び始めるのです。
これは大きなハンデです。
それもやっとこの20年ほどの間に発達障害についての研究が進んでここまで来たのです。
それ以前の子供たちは「ちょっと変わった子」「育てにくい子」と言われ、その後の長い人生で必要とされるスキルを学ぶ機会がほとんどなかったかもしれません。
大人になってそれまで一緒に暮らしてきた家族と離れ、まったく事情を知らない、ASDについての知識も何もない人と結婚して、なぜ自分の言ったことやしたことで妻が泣くのか、怒っているのかさっぱりわからない。
お互いに不幸でしかないでしょう。
いまから大人になっていく、若い世代の発達障害を持っている人たちは、妻が夫の「モラハラ」に悩み苦しみ、自分にはその理由がさっぱりわからないという悲劇を避けることができるかもしれません。
(発達障害は男児により多く発症すると言われ、父親から息子へと遺伝するといわれているため、ここではモラハラをするようになる発達障害を持つ人を「夫」としていますが、女の子にもASDは発症します。)
そうでない、もうひとつ前の世代の人たちにとっては「妻に対する接し方を変える」と言われても、もう無理な注文かもしれない。
一般的にモラハラは治らない、と言われています。
一時的にその時はやめさせられてもたぶんまた同じことをするでしょう。
一度できあがった関係性はなかなか正常に戻すのは難しい。
どちらか一方の努力だけでは時間もかかるし、その間に疲れ果ててしまうかもしれません。
どうしても相手と一緒に暮らし続けるのがしんどいと思うなら、できるだけ早く離れる方がいいでしょう。
実際、ASDを持つ人の離婚率は実に80%という数字もあります。
治らないモラ
モラが治るかどうかは「良心」が働くかどうか。自分のしたことを悪かったと認め、「ごめんね」といえるかどうか。
「自分は全く悪くない。悪いのは僕を怒らせたキミだ」、というのが真正のサイコパスモラです。
これはもうあきらめてください。
相性が悪いとか、人を見る目がなかったとか、そういうことじゃないです。
この手の人は一人で生きて一人で死んでもらうしかありません。
「人を人とも思わない」っていう言い回しがありますが、まさにこのタイプのモラはそれです。
この手の人と関わり合いになっていて幸せにはなれません。
夢見た幸せな結婚を望むなら、さっさと別れて新しい恋を探す方が建設的です。
貴重な人生を無駄にすり減らさないでください。
このタイプのモラは死んでも治りません。
カウンセリング
夫婦関係の修復を目的としたカウンセリングを行っているところもあるようです。
相手がカウンセリングを受けることを承知してくれれば、関係を改善してまたやり直すこともできるのかもしれません。
ただ、何度も言うように自分一人だけが変わっても、関係を修復するのは難しい。
カウンセリングを受けるのなら夫婦双方が納得し、お互いに関係を改善しようという気持ちがあってこそうまくいくものだと思います。
どちらか一方だけがその責任を負い、「自分が変われば相手も変わるはず」なんて虫のいいことを考えていると、また裏切られ悲しい思いをすることにもなりかねません。
カウンセリングを受けて夫婦関係を修復し、またやり直すことができた夫婦もいます。
もう我慢する関係は嫌だと離婚を選んだ夫婦もいます。
モラ気質の人同士は比較的うまくやっていけるようです。
結局、モラの人だから結婚生活がうまくいかないというわけでもなく、組み合わせ、相性の問題だということになるのでしょうか。
身も蓋もないと言えばそれまでですが。
夫婦は最も小さな社会といわれています。
一歩家の外に出れば、合う人もいればまったく合わない人もいる。
結婚した相手だからといって、必ずしも「合う人」というわけではないのも当たり前といえばあたりまえかもしれませんね。
まとめ
1.治るモラハラかどうかは「良心」が働くかどうかで決まる
2.夫婦関係を修復できるはお互いがどれだけ歩み寄れるかによる
3.さっさとあきらめるのもよし
治るモラハラなのか治らないモラハラなのかは、早いうちに見切るのがいいのかもしれません。傷は浅いうちに。
コメント
同感です。全く同じことですが、治るかどうかは、パートナーから辛い悲しいと言われて、傷つけてしまったと、罪悪感を感じられるかどうかだと思います。
我が家は全く無理です。辛いなんて言えば、そんなこと感じるあんたがおかしいで終わりです。