【自覚する】モラハラ加害者はモラハラをやめて変われる?

特徴

妻が子供を連れて出ていってしまいました。確かにいままで言葉がきつかったと思うし、妻を傷つけてしまったと後悔しています。モラハラをやめて変わりたい。妻と子供に帰ってきてほしい。

 
 

そんなツイートを見かけました。
 
 
モラハラをしてきた人が自分のモラハラを自覚し、変化することはあるのでしょうか。
 
 

かなこ
かなこ

そんなわたしは夫からモラハラを受けていると気が付かないまま20数年暮らしてきた人。離婚を視野に、ついにアパートを借りて別居スタート!

 
 
モラハラとは「モラルハラスメント」簡単に言えば「いやがらせ」「いじめ」です。暴言、無視し続けること、経済的な制限、相手の人格を否定することなどの特徴があります。
 
 

モラハラを自覚させることはできるか


 
何度も言いますが、「自覚させる」ことは無理です。
 
 
 
本人が自覚しなければ誰も自覚させることはできません。
 
 
 
たとえ「あなたのしていることはモラハラだ」と言ったところで、こういうでしょう。
 
 
 
「なんやねん、モラハラって。モラハラいうお前がモラ」
 
 
言うでしょ?w
 
 
 
モラハラを自覚する人

 
モラハラを自覚する人は変わりたいと言うかもしれません。
 
 
 
本当に心からそう思っているのかもしれません。
 
 
 
モラハラする人が「やり直したい。反省している」というのを見ると、わたしは母親と小さな子供の関係に似てるなと思います。
 
 
 
母親に叱られて泣く子供もその時は反省していて、「もうしません」といいます。
 
 
 
子供は母親に嫌われたくなくて必死です。
本気です。
 
 
 
でも、またやらかします。
 
 
 
子供ならそれでもいいんです。
子供はいろんな経験をしながら成長しますから。
 
 
 
「モラハラをやめたい」という人も似ている。
ただ残念ながら、妻は母親じゃない
モラハラする人も立派な大人ですし。

 
 
 
妻と子供が出ていってしまった。
自分がしたことがそんなに大きな結果になるとは思っていなかった。
 
 
 
ほんとに反省している。
帰ってきてほしい。
もう一度家族として暮らしたい。

 
 
 
そういう男性が「モラハラ」という言葉を知って、自分のしてきたことがどれほど妻を傷つけてきたのかを真剣に考えるなら、その人は変わることができるかもしれません。
 
 
 
自覚しない人
 

 
 
自分がしてきたことに気づき、真剣に変化しようとする人は少ないと思っています。
 
 
 
「モラハラする人は変われないってよく見るけど本当にそうなの?」という質問をTwitterで見かけました。
 
 
 
こういう人は本当にごく稀です。
 
 
 
ほとんどの人は「は?モラってなんやねん。モラハラいうお前がモラ!」で終わりでしょう。
 
 
 
モラハラを自覚するのは難しい。
 
 
 
それはモラハラが依存症とよく似ているからです。むしろ「依存症」だときっぱり言う人もいます。
 
 
 
アルコール依存症やギャンブル依存症、薬物依存症などはわかりやすい。
 
 
 
その原因となるものがにあって、それに依存していることは傍から見ればわかってしまう。
 
 
 
問題によっては家庭内では収まらずに逮捕され、裁判にかけられて社会的に強制的に治療を受けさせられることもあります。
 
 
 
モラハラはその点で違います。
 
 
 
モラハラはモラハラする人の中に問題があり、しかも自分の中で調達できてしまう。
 
 
 
モラハラする人はモラハラ、という「行為」に満足感と快感を得るからです。
 
 
 
「家庭」という閉鎖された世界の中でモラハラはひそかに起こり、外からは誰もそれを指摘できない。
 
 
 
そういうわけでモラハラを自覚するのは難しいし、自覚する人の方が珍しいのです。
 
 
 
気がつくどころか「嫁が子供を勝手に連れて出ていった!誘拐だ!」と叫んでいる人たちの多さを日々Twitterで見ていると、「ああ、無理だな」と思わずにはいられません。
 
 
 

モラハラする人は変われるのか


 
 

わかりません。
 
 
 
自分がモラハラをしていた、と認め心から悔いてもう一度「生きなおしたい」と願い、それを行動で示す人にはもしかしたら望みがあるのかもしれません。
 
 
 
ただ、その行程は厳しいです。
 
 
 
モラハラは「やめる」というより「やめ続ける」というものだからです。
 
 
 
アルコール依存症の人がたった一滴のアルコールでまた依存症に逆戻りしてしまうように、モラハラという依存症もまた、簡単に逆戻りしてしまうからです。
 
 
 
自分のそれまでの考えかたのクセ、物の見方、話し方、振る舞い方
 
 
 
自分のすべてを180度変えなければならないかもしれません。
 
 
 
アルコールや薬物のように遠ざけておけるものならむしろ楽かもしれない。
 
 
 
自分から近づかなければ手を出す可能性は低くなります。
 
 
 
でも、モラハラの場合、依存しているものは自分の中にあります。
 
 
 
いつでも「楽な方に」流されることができる。
自分の感情の赴くままにまたモラハラをすることの方が楽ですもんね。
 
 
 

もうあきらめろ、おれはこういう人間なのだ。
もう好きに生きればいいじゃないか。

 
 
 
ターゲットは目の前にあります。しかもモラハラ夫も人間であり感情の生き物です。
腹も立てばまたすぐ昔の自分のやり方が顔をのぞかせます。
 
 
 
依存症全部がそうであるようにモラハラもまた自分との闘いです。
 
 
 
それもかなり厳しい戦いです。

 
 
 
モラハラは「やめた」というものではなくむしろ「寛解している」(まだ病巣は体の中に潜んでいるかもしれないが今のところ見えなくなっている)とか、「克服している」というものだと思います。
 
 
 
寛解は維持しなければいけない。
克服は完全でなければいけない。

 
 
 
それにモラハラを「やめた」と言えるのは本人じゃない。
 
 
 

「本当にこの人は変わった」、「モラハラをやめた」と言えるのは自分ではなく周りの人、特に傷つけた家族やパートナーです。
 
 
 
モラハラをやめるのは難しい。
 

 
 
 
残念ながら、いままでモラハラをやめて変わったという人の話を聞いたことがありません。
 
 
 
でも、気づいたのが「遅すぎる」ということはないと思っています。どちらかが死んでしまうまでは。
 
 
 
あきらめずに「変わるんだ」という強い意志を持ち続け、自分と闘い続けることができるなら、もしかしたら変わることもできるかもしれません。
 
 
 自分がモラハラをしてきたことに気がついた人がモラハラをやめて幸せになれるという例を見てみたいと思います。
 

このブログでは、モラハラにあっている被害者だけでなくモラハラをする人たちが「モラハラとはなにか」について知り、モラハラをやめてハッピーになることをめざします。

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